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【Ot-Channel】三山時代の城趾 - 中山城趾::首里城 [Ot-Channel動画]

三山時代の城趾シリーズの最終回は、三山時代に最も力を持っていた中山の首里城です。
首里城は、琉球王国の政治、外交、文化の中心地として威容を誇っていました。
1945年の沖縄戦で灰燼に帰した首里城は、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元されました。また、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的な価値があるとされ、2000年12月に、日本で11番目の世界遺産として登録されました。
鮮やかな朱色に彩られたその姿は、王国の歴史、文化の息吹を今に伝える沖縄のシンボルです。

そんな首里城は、ある意味琉球王国統一のシンボルと言えるかもしれません。
もともと、三山時代に、最も力を握っていたのが中部の中山(ちゅうざん)でした
1350年に察度が即位し、中国との貿易を盛んに行う事で中国から支援を受け、強固な政権体制を目指したのですが、察度が亡くなると次第に弱体化していきました。
そんな中次第に精力をつけてきたのが、後に三山統一を果たす尚巴志でした、尚巴志は、察度の子である武寧(ぶねい)を滅ぼし、中山の本拠地を浦添から首里に移し、父である尚思紹(しょう・ししょう)を中山王としました。
尚巴志は、さらに中国との貿易も積極的に行いました。
貿易を通じて経済力や軍事力を付けるとともに、特に鉄の農具の普及につとめました。
この事が農業の効率化に結び付き、農業生産も飛躍的に伸び、人々から慕われた存在となっていきました。
そして中山は着実に軍事力をつけていき、北山の拠点であった今帰仁城を1416年に攻め落とし、さらに1429年に南山を制し、はじめて沖縄本島を統一しました。これが琉球王国の幕開けであり、誕生でもあります。

ぜひ、YouTube動画をご覧ください!
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